事なかれ主義だけど思うこと
基本的なスタンスとして事なかれ主義なのですが、ここ数ヶ月でちょっと違和感を覚えて徒然と。
FBとかTwitterとかを拝見させて頂いていて、他人に対して文句を言っている方がいらっしゃって。
そこで毎回感じることなのですけれども、それがもやもやしていたり、言って良いものかどうか悩んだりして、結果書かせて頂く訳になるのですが。
他人に文句を(特に顔が見えないネット上で)言ったところで、他人は変えられないし、唯一変えられる方法があるとしたら自分が変わることなんじゃないのかな?と思うのです。
結局、過去と他人は変えられないけれど、自分と明日は変えることが出来るわけであって。
更に、これは実際体験したから余計に思うのですが、自分が理解出来ないものを
「馬鹿」
とか
「気持ち悪い」
とか、そう言う感じで差別してもっと質が悪い場合、気に食わないとなれば
「ワタシが気に食わないのだから排他せねばならない!」
と躍起になる方。
多分、その方もものの見方が足りないのか、おつむが足りないのか、どちらかなのでしょうね。
結果、僕はその方から某施設を排他されたわけですけれども。
う〜ん、人に対して
「馬鹿と言う奴が馬鹿」
と言うのはどうやら本当らしい。
結構、他人に文句を言う人も先の人も
「自分大好き!」
が根底にあるような気がします。
要するに歪んだ様子のおかしいナルシストなのでしょうね。
表面上は自分が嫌いと言っているけれど、過去の栄光にすがる傾向だったり、もしくは人を否定することで自分を保てない、かわいそうな方だったり。
まぁ、中には根拠なき自信で他人を見下して自分が頭がいいと思っている馬鹿もいますが。
これを書いている僕も人に文句を言っている内の一部に入ってしまうかも知れませんけれども。
あまりにも見ていて気分が悪くなったので、ついつい長文でCLOUDおじさん書いてしまいましたよ。
別に怒りとかじゃないんです。
どの感情かと言うと哀れみ?に似ているかも知れません。
交差点で例えるならばまっすぐ行く人もいれば、曲がる人もいる、戻る人もいる。
でも、それを理解出来ずに
「自分が右だからお前も右だ!」
となってしまうのが嘆かわしいし、見ていて、無様だなぁと感じてしまう。
もっと人との違いを受け入れられる人間にならないと何も出来ないし、何も見えて来ないよ?
と思うのですがいかがですかね。
マイノリティーもマジョリティーもみんな違ってみんないいと言う国になるのはもうちょっと先のようです。
最後に、村社会ほど嫌なものはないですね。