蔵人的駄文日記

MC/DJ/Beat Makert/Producerなどなど行なう蔵人 a.k.a. DJ 雨宮龍之介の日記。適当にゆるく更新中。

ネットと現実

誰かが「ネットでバズれば有名になれる」と言っていましたが、個人的に何かそれに違和感を覚えるのです。

何と言うか、ネットでいくら面白いこと言っても現実世界で面白かったりかっこよくなかったらそれはダサいなって。

そう考える僕が古いタイプの人間なのかも知れませんけれども。

 

何故ならば音楽のフィールドで言えばどんなにネットにあげている無料音源がかっこよかろうとライブがしょぼかったら意味ないでしょ、と言うことです。

 

多分、これを読んでくださっている何割かの方は音楽のリスナーかプレイヤーかと思うので想像に難くないと思います。

 

何よりもTwitterでの口コミ=世界と考えるのは危ないし、現実的じゃないよな、と。そもそもが。

現実で実際面白いからTwitterでバズるのであって(宇多田ヒカルさんの[桜流し]の話はまた別次元ですけど)決してTwitterからバズっているわけではないんじゃないかなと思うんですよね。

卵が先か鶏が先かの理論に近いものがあるかもですけど、現実でかっこよかったり、面白かったりするからそれをネット上で発信したらバズる、シンプルなんじゃないかなって。

 

それこそ前述した宇多田ヒカルさんの件とかも確かにあの人のTwitterのツイートは面白いけれど、その前にシンガーとして実力があって、それを待ち望むファンが多かったから[桜流し]がいきなりドカーン!と行ったのではないかなと思うのです。

 

だからネットの声=全てと思うのは違う気がしますし、何よりもネットの声に怯えていたら何も出来なくなるし、あれがダメこれがダメなんて言ってたらダサいのではないかと思うのです。

Twitterだけでバズりたかったら所詮それはTwitter芸人でしかないわけです。

当たり障りのない表現は個人的な感覚で言えば誰にでも出来るよな、と。

 

普段事なかれ主義な僕が言うのもおこがましい話ですが。

 

ネットが敵とかじゃなくて、0か100かじゃないんですよ世界は。

1だってあれば57だってある。

白か黒かじゃなくてグレーだってあるし、赤だってある。

 

それを分からずに人にとやかく言うのに自分に甘い人が多い。

人のあら探しなんて誰でも出来るんだから、周りが出来ないことやってこそなんぼじゃないかな?とも思うんですよね。

人が出来ることをさも得意気にやってもクリエイティヴじゃないし、それで自分がイケてると思ったら単なる幼稚な脳みその持ち主でしかないのではないかと。

 

なんとなく、普段からのもやもやを綴るだけで1,000文字越えてしまった。

そんな感じのことをぼんやり木曜日の夜更けに思っていたわけです。